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シャフト SCHAFT
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面白い記事があったので。(とっても長いですよ〜)

2013年7月18日。東京お台場。その日、僕たちSCHAFT(シャフト)のメンバーはグーグルのアンディ・ルービンに自分たちの開発したヒト型ロボット技術のデモンストレーションを行っていました。

ルービンはスマートフォンのOSアンドロイドを作った人物。シャフトは東京大学助教の職を辞した中西雄飛さんと浦田順一さんと僕が中心になって、2012年に設立したヒト型ロボット開発・製造会社です。

<ルービンと初めて出会ってから四時間半後―。彼が顔を真っ赤にして言いました。

「本当に素晴らしい技術だ。君たちが出資を受けたいなら、それを実現することは可能だろう。だが、ヒト型ロボットの産業を本気で立ち上げようと思ったら、君たちだけの力では足りないと思う。世界中から天才を集め、ドリームチームを作って一緒に世界を変えないか。君たちに会社を売るという選択肢があるのなら、我々はそれに応じる準備がある」

それはグーグルによるシャフトのバイ・アウト(買収)の提案でした。

驚きと興奮の中、僕たちは三十分ほど役員で話し合うと、こちらも会社全体をグーグルに売却する準備があることをルービンに伝えました。僕はその日から四カ月、他のすべての仕事を断り、グーグルとのM&Aを取りまとめることに全力を傾けました。

グーグルに対する事業売却の目的は二つ。リスクを取ってくれた投資家に十分なリターンを返すこと。そして何より、中西さんと浦田さんに、思う存分ヒト型ロボットの開発に没頭できる環境を与えることでした。シャフト設立から一年あまり、日本のベンチャーキャピタルや大企業、官製ファンドや中央官庁に支援を断られ続け、日本の環境で二人の夢を叶えることは無理だと、痛感していました。

そして、2013年11月13日、グーグルによるシャフトの買収が完了しました。

大企業が自前で技術開発するのではなく、外部のベンチャー企業を買収することで、目的の技術を獲得することをオープンイノベーションと言います。また、自分が始めたベンチャー企業が、最終的にグーグルやアップル、マイクロソフトに買収されることは、起業家にとって、最高の栄誉とされています。

でも、日本で生まれたシャフトを日本で育てていけなかったことには、一抹のくやしさがあります。
そのころ、僕はあるベンチャーキャピタルの顧問をしていて、色々な人に新しい技術を研究している人を紹介してほしいと頼んでいました。それを憶えていた高校の同級生が「大学を辞めて、ヒト型ロボットのベンチャーを始めたい二人の若者がいるから相談に乗ってあげてほしい」と連絡をくれたのです。僕は早稲田大学理工学部の応用物理学科を出たのですが、もし家にお金があったら、大学院に進みたかった。いつかビジネスでお金を稼いだら、大学に戻ってロボティクスで博士号を取得したいと思っていました。ですから、二つ返事で、その若者たちに会うことにしたのです。

中西さんは31歳。立派な体格に小さなメガネ、髪とひげは伸ばし放題でした。

浦田さんは30歳。メガネをかけ、青白く痩せていて、いかにも研究者といった風貌でした。

二人とも、とにかく真面目な印象でした。

AKB48の49人目のメンバーとして、AKB49というアイドルロボットを売り出して注目を集めれば、アラブの石油王がお金を出してくれるにちがいない」

それが中西さんが汗だくになってプレゼンしてくれた内容でした。あまりにとりとめがなかったので、「ビジネスはそんなに甘くない。君たちには世界一のロボット技術があるかもしれないけど、伊達や酔狂でお金が集まる世界じゃないんだ」と率直に伝えました。すると、中西さんがいきなり激昂しました。

「ふざけた気持ちでロボットをやろうとしているわけじゃない。あらゆる人生の快楽を捨てて、何もかも失っても、僕は一生ロボットを開発していたい。僕はロボットに人生を懸けているんです」

僕は彼らのビジネスに対する見込みの甘さを指摘したつもりだったのですが、中西さんは彼のロボットへの純粋な思いを茶化されたと思ったのです。

でも、僕は激昂した中西さんに心の底から感心していました。今のビジネスの現場で、打算抜きにここまで真剣になれる人はそうそういません。中西さんはそこまでの情熱をロボットに注ぎこんでいる。僕の口からは、こんな言葉が自然と出ていました。

「そうやって思えるのは、本当に素晴らしいよ。僕が時間を使って助けるから、君たちの技術が何かものになるように一緒に頑張りましょう」

それまでの十年間、僕は企業を立て直すことに人生を懸けてきました。それは焼け野原を疾走するようなヒリヒリとした時間でした。僕にはビジネスに対する情熱があり、彼らにはロボットに対する情熱があった。そこには確かな尊敬と共感の念が生まれていました。

 情熱だけではありません。彼らは世界で戦える、革命的な技術を持っていました。

あの日彼らは、相当の強さで前後左右から蹴られても倒れない下半身ロボットの映像を見せてくれました。僕はひと目見て、この技術はすごいと直感しました。グーグルのルービンもこれにすぐ気づきました。想像を超えるほどの強い関節出力を実現する技術。この技術を開発したのが、無口な浦田さんでした。彼らのロボットは、ホンダのロボットASIMOとは動き方がまったく違います。いつかヒト型ロボット産業が生まれた暁には、この技術が欠かせない要素になるだろう―。僕は二人の力になることを心に決めたのです。

なぜ日本は賭けられなかったのか?

僕の仕事は彼らの技術をビジネスに仕立て上げることと、それを展開できる資金を調達することでした。ヒト型ロボットのビジネスに本格的に取り組むなら、最終的に50億、100億円のお金がかかります。試作機を一体作るだけで、数千万円が必要なのです。

しかし、資金調達は困難を極めました。
先ほど紹介したロボットの映像を見せながら、日本のベンチャーキャピタルに出資をお願いすると、返ってくる反応は、だいたい次のようなものでした。

「面白いですね……。ところで、アメリカのヒト型ロボット市場はどうなっているんですか?」

「マーケットでの競合他社は?」

そんな通り一遍の質問に僕は、こう答えました。

「そんなものはありません。ヒト型ロボットの分野では、日本が世界の先頭を走っているんです。アメリカのマーケットを見てもしょうがない。自分たちがどうやって初期の市場を形成できるか考えるべきです」

しかし、相手はポカンとしている。

なぜ、このような反応が返ってくるかといえば、日本のベンチャーキャピタルのほとんどは、アメリカやヨーロッパでうまくいったビジネスモデルが、どのようにすれば日本でコピーできるかばかりを考えてきたからです。日本は一億人以上の成熟した消費者がいる、世界でも有数のマーケットです。その上、言語の障壁があるから、外国からは参入しにくい。すると、アメリカのモノマネでも日本だけで鎖国的なマーケットを作ることができ、巨額の先行投資をしなくても、コピー代だけ払えば、そこそこのリターンが得られてしまう。だから、日本のベンチャーで成功したと言われている企業や新興市場に上場した企業は、モノマネベンチャーのオンパレードなのです。リスクを取って、巨額の先行投資をし、自分の腕一本で新しい産業や市場をこじ開けてやろう、という気概に満ちたベンチャーキャピタリストなど、日本では皆無だと思います。

シャフトがグーグルに買収された今となってみると、なぜ、日本でその可能性に賭けられる人がいなかったのでしょうか? とよく訊かれます。いちばん大きな原因は、何でも既成のモノマネモデルに落とし込もうとする思考のトラップに、専門家と言われる多くの人たちが絡めとられていたからでしょう。

何より幻滅したのは、技術について深掘りして聞く人がいなかったことです。もともとインテルの技術者で、アメリカのベンチャーキャピタリストとして、アマゾン、グーグル、ネットスケープに出資して大成功したジョン・ドーアは、とにかく技術が好きで、革新的な技術に出合うと、話しながら興奮してきて、手が震えてくるそうです。そんなふうに技術そのものを愛している人こそが、産業を丸ごと作り出すようなイノベーションを支えることができるのだと思います。

資金調達が思うように進まないなか、あくまで実用可能なヒト型ロボットの完成を目指すか、それを諦めて世界一の要素技術(その製品の根幹をなす技術)にビジネスを絞って、三〜五年で成果を出す方向性に進むか、選択を迫られました。しかし、すでに東大助教の地位を擲っていた中西・浦田の強い意思を受け、僕たちはあえてヒト型ロボット市場を切り拓くという、いばらの道を選びました。その決意を胸に僕たちは二〇一二年五月一五日、シャフトを設立したのです。

シャフトに大きな助け舟を出してくれたのは、アメリカのDARPA(米国国防総省高等研究計画局)からの補助金でした。DARPAがヒト型ロボットを技術開発の重点開拓テーマとすることを発表したのを受け、シャフトはこれに応募し、審査を通過したのです。

それでも、中西さんと浦田さんが研究・開発に身を捧げるのに必要な資金には遠く及びませんでした。

そこで僕たちは、官製の投資ファンドや霞が関の中央官庁に支援を求めました。しかし、イノベーションを謳う官製ファンドの返答は予想外のものでした。

「ロボティクスに関しては、過去、中央官庁でも色々と議論をして、レポートにもまとめられている。ヒト型に市場は無いという結論だ。うちもファンドとしてリターンを出さなければならない以上、出資は難しい」

当時、僕たちが求めていたのは、たった三億円のお金でした。一兆円持っている官製ファンドが、日本が世界に誇る数少ない技術分野に対して、なぜ三億円を投資できなかったのか、今でも判然としません。

 中央官庁からは、「あなたたちのようなヒト型ロボットを支援する枠組みは今のところ行政に無いので、前年に策定された介護用のロボットに対する補助金を申請してみてはどうか」と言われ、脱力しました。

官製ファンドや中央官庁が僕らの期待とは正反対の返答をしたことで、僕らの心に火がつきました。長い年月をかけ、日本全体に充満してしまった得体の知れない「場の空気」のようなもの、これに逆らっても無駄なのではないか。このまま日本にいたらダメだ、と踏ん切りがついたのです。

僕たちはアメリカに活路を見出すことにしました。色々な伝をたどって、ボストンとサンノゼのベンチャーキャピタルを中心に出資の打診をしていきました。さすがハイテクの中心地だけあって非常に反応がよく、会いたいと言ってくれるところが何社か出てきました。そのなかの一社が、グーグルだったのです。結果的に、そのことがシャフトの成功につながりました。

二〇一三年末、シャフトはDARPAの補助金を受ける条件だったヒト型ロボットの競技会に出場しました。シャフトはNASAやMITのチームを押えて、見事世界で一位となりました。シャフトが世界一の技術を持っていることが証明されたのです。アメリカには開拓者精神が今もあって、国全体が自分の手で次の産業を起こそうとしています。新しい産業を世界に先駆けて作ると、国全体が潤うからです。現に半導体、バイオテクノロジー、パソコン、インターネット、ソーシャルネットワークと、アメリカは次々と新しいドアを開けてきました。新しい産業を作りあげた成功体験が、次の産業も作れるという、ある意味、根拠のない自信に変わっていったのでしょう。こうして今日も次の新しいドアを開けるのは自分だ、という思い込みを抱いた自信満々の連中が、アメリカに集まってきます。それが、アメリカの強さです。
こんなことができているのは、世界中を見渡してもアメリカだけです。でも、日本は幾度かドアを開きかけたことがあります。だから、くやしいし、いつかできるはずだと強く思うのです。

コンピュータの頭脳であるマイクロプロセッサのドアを開けたのは、日本のビジコンという会社です。でも、資金が足りなくなって、インテルに販売権を売ってしまいました。ロボティクスにおいては、シャフトがビジコンだったのです。シャフトだって、名前は残らないかもしれませんが、この十年でヒト型ロボットを中心とした新しい産業が生まれれば、その入口を作ったのは、僕らだったと言い切れます。やがて名前は忘れ去られるかもしれませんが、爪痕は残したと思っています。それが僕たちの誇りなのです。

ロボティクス、バーチャルリアリティ、マテリアルなど、日本が世界でトップを走っている分野が、まだいくつか残っています。日本から世界で戦える技術が生まれた際に、それを自分の国で産業化できないのは大きな損失です。今、霞が関は日本のジョブズを見つけよう、などと言っていますが、見逃し三振を避ければいいだけのことです。世界で戦える技術が、日本にはまだ残っている。国を見渡せば、現金も余っています。では、何が足りないのか。圧倒的に足りないのは、技術とお金を結びつけて、ビジネスを作り出せるプロの経営者です。来る日も来る日も、事業の不確実性や人間の弱さと向き合い、志と勇気を持って捨て身で生きる人たち、国全体に責任を持とうとする真のエリートが、この国には圧倒的に少ないのです。

シャフトでの経験から、若者に言いたいことは、世界で戦える技術があるなら、早く日本を出ろ、ということです。今や誰にも負けない技術があれば、日本よりも世界の方が戦いやすい。日本なら成功の確率が千に三ぐらいしかないものでも、アメリカやヨーロッパに行けば、10倍、100倍の人たちが成功すると思います。外のルールは、内のルールと比べて、才能のある人に有利にできている。これまでは日本で成功したら海外へ、と考えるのが普通でしたが、これからは世界で勝てば、日本でも勝てるという時代になるでしょう。無限の可能性を秘めた技術が日本にはまだたくさん眠っています。

かとう たかし1978年生まれ。早稲田大学理工学部卒業。IT企業執行役員、技術系ベンチャー企業社長などを歴任。著書に『未来を切り拓くための5ステップ』など。

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小保方晴子さん、犯罪扱いされながら3ヶ月もよく努められたと思います。まだお若いのだから、過ちを犯したからと言って鬼のクビを取った様にとってかかる集団から離れて、外へはばたいて欲しいと思います。彼女もご存知の通り世界はとっても広くあらゆる可能性に満ちているので。



by halina | 2014-12-20 16:31 | + Hope
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